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[読了]道をひらく

2013-01-06

道をひらく
松下 幸之助
PHP研究所 ( 1968-04-30 )
 

すごくいい本だった。
昔の言葉ばかりだけど、ハッとさせられる物が多い。 
本質はどのくらいたっても変わらない。 

この道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。  他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。  それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる

人は人。自分は自分。
自分の人生は自分でしか歩けないものなんだし、どんなことがあろうとも自分の足で一歩ずつ歩んでいかないと。 

志を立てよう。本気になって、真剣に志を立てよう。生命をかけるほどの思いで志を立てよう。志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい。  志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである

志。名前に「志」がはいってても、そういうものってないよなぁ、と反省する日々。
熱意とか情熱とかそういうのも。
なんだろうな、真剣さが足りないのかなんなのか。 

いくつになってもわからないのが人生というものである。世の中というものである。それなら手さぐりで歩むほか道はあるまい。わからない人生を、わかったようなつもりで歩むことほど危険なことはない。わからない世の中を、みんなに教えられ、みんなに手を引かれつつ、一歩一歩踏みしめて行くことである。謙虚に、そして真剣に。おたがいに人生を手さぐりのつもりで歩んでゆきたいものである

手探りでも一歩ずつ。
なにかしら進んでいく。 

年の始めは元日で、一日の始めは朝起きたとき。年の始めがおめでたければ、朝起きたときも同じこと。毎朝、心があらたまれば、毎日がお正月

毎日を新たな気持ちで。

古の聖賢は「まず自分の目から梁を取りのけよ」と教えた。もうすこし、周囲をよく見たい。もうすこし、周囲の人の声に耳を傾けたい。この謙虚な心、素直な心があれば、人も物もみなわが心の鏡として、自分の考え、自分のふるまいの正邪が、そこにありのままに映し出されてくるであろう

謙虚に。
自問自答する鏡として。 

おたがいにともすれば、変わることにおそれを持ち、変えることに不安を持つ。これも人間の一面であろうが、しかしそれはすでに何かにとらわれた姿ではあるまいか。一転二転は進歩の姿、さらに日に三転よし、四転よし、そこにこそ生成発展があると観ずるのも一つの見方ではなかろうか

こんな時代は変化を恐れている場合ではない、と。 

大人もまた同じである。日に新たであるためには、いつも〝なぜ〟と問わねばならぬ。そしてその答を、自分でも考え、また他にも教えを求める。素直で私心なく、熱心で一生懸命ならば、〝なぜ〟と問うタネは随処にある。それを見失って、きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる。社会の進歩もとまる。  繁栄は〝なぜ〟と問うところから生まれてくるのである

なぜ?を忘れない一年にはしたい。
どうしようもないこともあるが、工夫も検討もない闇雲からはなにもうまれないのかもしれない。

自己を捨てることによってまず相手が生きる。その相手が生きて、自己もまたおのずから生きるようになる。これはいわば双方の生かし合いではなかろうか。そこから繁栄が生まれ、ゆたかな平和と幸福が生まれてくる

まずは相手のために。
与える。サービスする。 

そのためには、素直な自問自答を、くりかえし行なわねばならない。みずからに問いつつ、みずから答える。これは決して容易でない。安易な心がまえで、できることではないのである。しかし、そこから真の勇気がわく。真の知恵もわいてくる。  もう一度、自問自答してみたい。もう一度、みずからに問い、みずからに答えたい

自分を客観的にみる。
そういう目を持つ必要がある。
謙虚であれ。

万物は日に新たである。刻々と変わってゆく。きょうは、もはやきのうの姿ではない。だからわれわれも、きょうの新しいものの見方を生み出してゆかねばならない。  おたがいに窮屈を避け、伸び伸びとした心で、ものを見、考えてゆきたいものである

少し先をみていかないと。 

それは創意がなくてはできない。くふうがなくてはできない。働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。創意がほしいのである。額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう

工夫して働く。
単に言われたことだけをやるのではなく。
長時間働くことがスバラシイのではない。 

仕事が成功するかしないかは第二のこと。要は仕事に没入することである。一心不乱になることである。そして後生大事にこの仕事に打ち込むことである。そこから、ものが生まれずして、いったい、どこから生まれよう。  おたがいに、力及ばぬことを嘆くより先に、まず、後生大事に仕事に取り組んでいるかどうかを反省したい

反省したい。

一つのことを聞いても、一つのことを見ても、わが身につまされる思いがあったなら、その見たり聞いたりしたことが、そくそくとわが身にせまってきて、いろいろさまざまの感慨が生み出されてくる。  身につまされてもらい泣きというけれど、つまりは人の世の喜びも悲しみも、その味わいも、身につまされた思いのなかで、無限に深まりゆくのである

まさにこの読書からもたくさんのつまされる思いを感じた。

人の歩む道も国の歩む道も結局同じことではなかろうか。ボンヤリしていては道はひらけぬ。他人まかせでは道はひらけぬ。つまりは、われ他人とともに懸命に考えて、わが道をひらく如くに、国の道をひらかねばなるまい

自分と比較すること自体が間違ってるのかもしれないけれど、自分自身や自分に関係がある他人のことを中心にかんがえている自分と、社会全体、国全体と考える範囲が広いところは器の違いなんだろう。
そういうところまで考えられることが志とかそういうところともつながるんだろうなー

いい本を読んだ。  

道をひらく
松下 幸之助
PHP研究所 ( 1968-04-30 )